お昼頃に、その日何度目かのメトロの改札口を通りぬけた時です。
改札を通り抜けるのが遅かった私は、ダンナから数メートル遅れて歩いていました。
「・・・!」
私は突然、後ろに軽く引っ張られる感触を感じました。
誰かが私のリュックサックを引っ張っているようです。
こんなところで、えらく大胆なスリです。
私はわざと気付かないふりをして、そのまま歩きました。
しっかりとした証拠が欲しかったんです。
私のリュックサックは巾着式で、ふたの下に巾着のひもがあるので、二度目は紐を引っ張らなくてはなりません。
---ツツツ
今度ははっきりと引っ張られました。もう間違いありません。
私はくるりと体ごと後ろを向きました。
そして見えたのが、私の真後ろに立っている若い女の子。
他に私の後ろを歩いている人は誰もいません。
じっと無言で見詰める私から視線を逸らして私を通り越し、彼女はそのまま何事もなかったように歩いて行きます。
私は彼女の歩いて行く方角にいる旦那に声をかけました。
「Hallo」
思ったとおり、ダンナとともに、彼女も私のほうを振り返りました。
これはちょっとした心理作戦です。
私が「Hallo」と言えば、彼女は私が彼女に声をかけたのだと思いますからね。
恐らく彼女はぎくっとしたでしょう。
それに輪をかけてぎくっとしたことは、彼女の前に立っているのが私のダンナだったこと。
「その子が私のリュックサックを後ろから開けた」
「この子か?」
ダンナが彼女を見やり、何をしたのか問いただしました。
もちろん彼女は「知らない」としか言いません。
詰問しようとするダンナに、しかし私は待ったをかけました。
「でも、後ろを見ていたわけじゃないから」
「いいのか?」
「うん」
お上りの日本人だと思ったんでしょうけど、私がドイツ語を話すのを聞いて自分の失敗をはっきりと悟ったはずです。
それに、プロじゃないのは明らかです。
彼女はそのまま、足早に私たちの視野から消えていきました。
「あんな若い子がするなんてねえ」
「まったくだ。あの子、まだ未成年だし」
「プロじゃないね。あんなの、自分がしたってすぐわかっちゃうのに」
「他に誰もいなかったし、丸わかりだな」
もし彼女が成功したとしても、リュックの中を見たらきっとがっかりしたでしょう。
ガイドブックとペットボトルとティッシュしか入ってなかったんですから。
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