どこの国でも一緒です。
たとえ子供の飛び出しが事故を招いたとしても、事故にあった運転手がすべての責任を負います。
ダンナはすぐに逮捕され、刑務所に放り込まれました。
留置所ではなく刑務所というのが、先進諸国との大きな違いです。
ダンナは裸にされ、冷水を浴びせられ、囚人の扱いを受けました。
まるで、すでに刑の執行が始まったかのようです。
ダンナに会えるのも、刑務所の入口の鉄格子の扉越し。
事情を知らない地元の人は、外国人が子供を轢いたと物見見物に来るし、私たちはどうしたらいいのか分からなくておろおろするばかり。
そこへ、英語の話せる一人の女性が私たちに話しかけました。
「弁護士はもう手配しましたか?」
「いいえ」
「彼には弁護士が要ります。この街に弁護士がいるから、そこへ行きましょう」
彼女は私には救世主でした。
たとえ弁護士がそんなに腕のいい人物でなくても、この小さな町で知っている人は誰もいないんですから、私たちを助けてくれる人がいただけで、本当に嬉しかったです。
翌日、すでに帰国日が迫っていた私は、後をドイツ青年に託してダンナに別れを告げました。
後を任された青年は不満たらたらでしたが、私の事情も理解してくれて、無事に弁護士とダンナのパイプ役を務めてくれました。
格子越しにダンナに別れを告げた後、私はその町をバスで出ました。
奇しくもその日は、軍がクーデターを企てた日。
戦車が軍の基地を出ていくところを、メキシコ国境に向かうバスの中で目撃しました。
日本に辿り着いた後、ニュースはグアテマラのクーデターが失敗に終わったことを知らせていました。
ダンナの弁護士は後で、腕のいい人に変わりました。
ダンナは他の刑務所に移され、待遇も良くなり、遺族と和解もして、慰謝料で済むことになりました。
事故の後すぐに子供を病院に運んだことが認められました。
スペイン語が達者なダンナは、刑務所長と仲良くなって、いろいろと考慮もしてもらったそうです。
Grück in Ungrück(不幸の中の好運)
回避不可能だった不幸な事故の中で、ダンナに助けの手がのばされたことは幸運だったといえます。
皆が皆、幸運だとは限りませんから。
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