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ドイツは東ヨーロッパのEU参加により、EU圏の真ん中になりました。
EU圏内は国境検査も廃止され、自由に行き来ができます。
しかし、各国で禁止されているものは今でも国境警察によって取り締まられています。
ドイツでは、麻薬はすべての種類が違法です。
そのため、合法なマリファナがバーで簡単に買えるオランダからドイツに入るアウトバーン(高速道路)では、ドイツの高速道路警察が目を光らせています。高速道路に限らず、ドイツ国鉄でも鉄道警察が活躍しています。
ヨーロッパでは日本と違って、麻薬が簡単に手に入ります。
ディスコではパーティードラッグが幅を利かせ、大都市では客待ち顔なディーラーがたむろしています。
州によって法律が違い、甘かったり辛かったりしますが、どちらにしても捕まれば裁判が待っています。
旅行者の皆さんの中には危険を知りながらも麻薬に手を出す人がいますが、危ないものに近づかなければ危険が近づいてくることはありません。
次にご紹介するのは、フランクフルトの現状です。
決して麻薬に手を染めないでくださいよ。
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相当前のことなのですが、未だにあるんじゃないかと思います。
ダンナとアメリカ中西部をバス旅行したことがあります。
できるだけホテルに泊まらず、パスの有効期間を100%使うために、夜行バスで移動して日中観光していました。
ある日、ある街のバスターミナルのトイレをお風呂代りにすることにしました。
つまり、洗面台で髪を洗い、手を乾かすドライヤーで髪を乾かすんです。
バックパッカーなら一度はしたことがあるでしょう。
親切な親子が普通のドライヤーを借してくれて、私は変な格好で髪を乾かさずに済みました。
ありがとう、と笑顔で親子にお礼を言ってトイレを出た私は、ダンナが出てくるのを待っていたのですが、トイレから出てきたダンナは何か変でした。
緊張した顔で私の座る椅子に近づいてくると、すぐここを離れると言います。
疑問符を顔に乗せた私にダンナは
「くそっ、トイレの中で麻薬取引してるみたいだ。個室の中から声が聞こえてきた。あそこに俺がいたのが分かるとまずい」
そりゃ、やばいですよ。
危険度100%です。
すぐさま私たちはバスターミナルを離れました。
街に出た私たちは、簡単な地図を頼りに道を歩いていたのですが、いつのまにやら人気のない、高速道路の下に出てしまいました。
またもや危険度100%です。
頭の中の警戒信号が赤く点滅している中、一人の黒人が私たちに話しかけてきました。
どこに行くのかと尋ねる彼に、ダンナが慎重な言葉運びで答えると・・・・・・
「立ち止まらないで。ここは危険だ。すぐに離れたほうがいい。あそこを行くと中心地に出られるよ」
私たちは本当に運がいい。
危険地帯で、それも全く人気のないところで親切な人に会えるなんて、そうそうあるもんじゃありません。
これがどこの町だったかは忘れてしまいましたが、そんなこと関係ありません。
こういうことは、どこででも起こります。
アメリカでは簡単に殺人が起こりますから、やばそうな感じがしたら、すぐにそこを離れてください。
英語がわからなくて、そばで麻薬取引があったのに気がつかなかったなんてバカなことにならないように、準備万端で出かけてくださいよ。
10年ほど前になります。
何度目かのグアテマラ訪問の折、日本人二人が刑務所に入っているという話を聞きました。
理由を聞くと、「麻薬所持」
本人たちに会ったことはありませんから、どういう経緯でそうなったのかは分かりませんが、軽率な行動をとったのは明らかです。
アジアでは麻薬を売りつけておいて警察に密告する輩もいますし、他の国でもうまく騙して運び屋にさせる組織がありますから簡単には言えませんが、どちらにしても迂闊です。
異国では、刑務所の外に助けがなければ、彼らの状況は厳しいものです。
それも、スペイン語ができなければお手上げです。
マレーシアで逮捕された、オーストラリア人の実話をもとにした映画があります。
名前は残念ながら忘れましたが、二人のうちの一人が麻薬をバッグに入れて密輸しようとしました。
密告により彼らが捕まったのは、出発直前の飛行機の中。
判決は、死刑。
彼らの家族の必死の試みも叶わず、彼らは絞首刑にされました。
マレーシアは麻薬に厳しく、有罪になれば確実な死が待っています。
他の国でも、下手をすると終身刑になります。
コロンビアで、やはり麻薬所持で有罪になったドイツ人は、刑務所という名の無法地帯に放り込まれました。
テレビのレポーターに話す彼の顔には苦悩と怯えが見えていました。
刑務所は無法者の村のようになっており、彼は入所2日目に所持品をすべて奪われました。
寝るのは空の下。
ここには普通の刑務所の囚人部屋がないのです。
レポーターとのインタビューに、彼はこう答えています。
「刑期の一年をここで生き抜けられるかどうか、わからない」
ダンナが1か月もの長い刑務所生活から解放された後のことです。
素朴で親切な人の多いグアテマラで、55カ国以上を彷徨ったベテランのダンナが賊の手に落ちました。
ある町で知り合ったグアテマラ人達とコーヒーを飲んでいたそうなのですが、その後の記憶がぷっつりと途絶えています。
薬の入ったコーヒーを飲まされたダンナはすごく眠たくなって、そのままそこで寝入ってしまったのです。
起きたら当然、ダンナは一人。
そして当然、物がなくなってる。
パスポートに財布、車の書類まで消えうせていました。
財布にはその日に使う分だけの小銭が入っていましたから、大したことはありません。
ダンナが愛用しているマネーベルトには、賊は気付かなかったようです。
パスポートは領事館で再発行してもらえます。
しかし、車の書類には困りました。
賊は手早くダンナの懐を探って、目についたものを素早く抜き去りました。
恐らく、書類に目を通すなんてことはしなかったでしょう。
必要のない車の書類なんて、ごみ箱行きです。
ダンナは車を売って帰独しようとしていたところだったので、書類は絶対に必要でした。
その後大分苦労して、なんとか一人のグアテマラ人に車を売ることができたそうですが、これは第3諸国だったからできたことです。
今まで親切な人ばかりだったグアテマラでの思いもかけぬ事件に、私は少なからず驚きました。
インドの賊が毒薬を飲ませて身ぐるみ剥ぐのは有名ですが、まさか素朴なグアテマラでこんなことがあるとは。
どこにでもそういう輩がいるということは、肝に銘じておきましょう。
ダンナと共に、中米を放浪していたころの話です。
ダンナが合衆国でバンを買い、ずーっと南下してグアテマラまで来ました。
Tikalでドイツ人青年を一人拾い、Panajachelを通ってメキシコへ向かう途中の田舎道。
40k/hで走っていた車の横に、突然子供が飛び出しました。
ゴンという鈍い音とともに、急停車した車。
後部でくつろいでいた私に聞こえた、ダンナの叫び。
慌てて車の外に出ていったダンナが抱えてきたのは、ぐったりと意識のない子供とその母親。
青天の霹靂のように突然起こった交通事故で、車の中の空気が180度変わりました。
ダンナはバンの後部に慎重に子供を寝かせると、子供を動かすなと私に指示して母親を車に乗せました。
下手に子供を動かすと、命にかかわることもあります。
しかし、それを知らないのが子供の母親。
もし首でも折れていたら死ぬかもしれないのに、母親は子供を床から抱き起こすと、腕に抱いたまま放そうとはしません。
ダンナも諦めて、次の町の病院目指しました。
子供を町の医者に手渡し、子供の運命を天に祈ること数時間。
子供の父親も到着し、緊張の中に聞いた訃報。
私たちは、子供の不運とダンナの不運に涙するばかりでした。